絶景スポット!最明寺史跡公園
開花情報
令和6年4月23日
今年の見ごろは終了し、みどりが生い茂りはじめました。
また来年の開花が楽しみです。
令和6年4月19日現在
最明寺史跡公園について
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4月上旬 多種多様な春の花が満開の様子
(平成24年まつだの四季フォトコンテスト 佳作/桜の花が咲き乱れる 小澤 宏)人里離れた松田山山頂付近、海抜550mの地に広がる静謐な公園です。
春には色とりどりの花が咲き乱れ桃源郷のようであり、
池の周りは桜の木に囲まれ、水面を草花や樹木が彩ります。
野鳥がさえずる散策路を歩き池をひとめぐりすれば、心が解き放たれるような不思議さを覚えます。
斜面を上がって行くと富士山や相模湾も見渡せます。公園内は火気厳禁です。キャンプ用コンロも使用禁止ですので、ご了承ください。
最明寺の由来について
伊豆山の別当浄蓮上人源延は、夢のお告げを受け、信州善光寺の一光三尊善光寺如来の尊像を模写して越前の仏師海縄にたのんで金銅の仏像を鋳造して承久三年 (1221)松田の郷庶子山に安置し、寺を西明寺といった。
源延は源頼朝の重臣加藤左衛門尉実長斎といい、出家して、天台の澄憲の門に学 び、のちに伊豆山の別当となって活躍した。第二位覚阿上人円浄の時に最明寺入道 北条時頼は、善光寺如来を深く信仰し、寺領一千五百石を寄進したので、この時寺門は隆盛であったと伝える。
応仁・文明の戦乱のため、最明寺は次第に衰えた。文明年間、鎌倉八正寺宮尊賢親王は、弟子の賢昌を住持として寺の復興を計ったが、山道険しく、人ともに困難であるため、寺を金子の郷に移した。
庶子山西明寺の田地は、庶子村の信徒にまもられ、数百年の間、毎年四月十日の 施餓鬼会と善光寺如来の戸ごとの巡行供養が行われてきた。
その後、松田町庶子戸主会、現在の庶子自治会が継承して昭和の今日に至っている。昭和63年10月吉日(松田町教育委員会)
徒歩での来園を検討されているお客様へ
松田山西平畑公園、自然館から徒歩約90分
※最明寺史跡公園から寄方面に向かうハイキングコース(みどりの風自然遊歩道)は、令和元年10月の台風による大規模土砂崩れのため、通行禁止にしている箇所がございます。う回路の紹介をしておりますので、詳細はこちらをご覧ください。
車でのアクセスについて
最明寺史跡公園までは、道幅が狭いため普通車より大きな車は行かれません。
駐車場の数が少ないため、以下の「のるーと」などをご利用ください。
AIオンデマンドバス「のるーと」
予約制の乗り合いの車両になります。「のるーと足柄」の詳細はこちら!
アクセスと公園マップについて